挑戦し続ける力 – サッカーと経営に共通するチームづくりの本質 –
プログラム内容
横浜FCシニアアドバイザーの奥寺康彦氏をお迎えし、「スポーツから学ぶ経営の新視点」を
テーマに講演を行います。
長年にわたりトップアスリートとして、また経営や組織づくりの現場に携わってきた奥寺氏が
スポーツの世界で培った経験をもとに、経営に通じる考え方や組織マネジメントのヒントを語ります。
当日は、横浜FCのCRO(チーフ・リレーションズ・オフィサー)である内田智也氏をファシリテーターに迎え、
対談形式でスポーツと経営の共通点や未来への視座を深掘りします。
経営者やビジネスリーダーはもちろん、チームづくりに関心のある方にもおすすめの内容です。
プロフィール(特別講師:奥寺 康彦氏 )
1970〜80年代、世界最高峰のリーグと言われたドイツのブンデスリーガ(1976ー84年までUEFAリーグランキング1位)で活躍した初めての日本人選手である。
3つのクラブを渡り歩き、計9年間プレーを続けレギュラーとして実績を残した。
ヨーロッパサッカー連盟主催の国際大会に、現在でもアジア人最高となる6回出場した。
1978-79年シーズンUEFAチャンピオンズカップ(現・UEFAチャンピオンズリーグ)では、アジア人として大会史上初となるゴールも記録した。その正確無比で安定したプレースタイルで、ドイツのファンからは「東洋のコンピューター」というニックネームで呼ばれ賞賛された。
帰国後は国内初のプロ契約として、古巣の古河電工(現ジェフ千葉)に復帰した。88年のソウル五輪予選で久々に代表に復帰したが残念ながら本大会に出場できず、87/88年シーズンを最後に
引退。
引退後は、Jリーグ参戦のためクラブ化された古巣の「東日本JR古河サッカークラブ」(旧古河電工)のゼネラルマネージャーに就任、96年には監督に就任した。
99年に横浜フリューゲルスのサポーター有志で結成された「横浜フリエスポーツクラブ」(横浜FC)のゼネラルマネージャーに就任、2000年からは代表取締役社長を兼任し、現在はシニアアドバイザー(一般社団法人横浜FCスポーツクラブ 代表理事)
を務める。
その一方では、講演、サッカー教室などの活動や、テレビ、新聞、雑誌などでヨーロッパサッカーの解説も行い、日本サッカーにとどまらずヨーロッパのサッカーをサッカーファンに伝える
活動をしている。
プロフィール(ファシリテーター:内田 智也氏)
高校卒業後、横浜FCに加入してプレー。
「ハマのプリンス」「ウッチー」の愛称でサポーターからも
愛され、2004 シーズンからは背番号 10 をつけてプレー。
横浜 FC、大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府、横浜 FC、
香港プレミアリーグなどを経て、引退後、2017 年 9 月より
横浜 FC 事業部へ入社。
2021年1月より横浜FC/C.R.O就任。